略歴

– 日本画家、齋藤達雄とは –

その86年の生涯で画家としての作画活動だけではなく、教職に携わり、また、第2次世界大戦時には帝国陸軍兵士として戦場に赴いたこともあった。
教職としては、長野県立稲核尋常小学校、同松本高等女学校(現長野県立蟻ケ崎高校)、捜真女学校(私立、神奈川県)、国外ではカリフォルニア美術工芸大学(米国、カリフォルニア州)、州立カリフォルニア大学、バークレー校で図画教師あるいは講師を務める。
第2次世界大戦では1944年(昭和19年)捜真女学校図画教師時、召集を受け、帝国陸軍に入隊、中国東北部(旧満州)の前線から、北ボルネオ(現マレーシア領)に転戦、1945年敗戦(当時、陸軍第37軍ボルネオ守備軍兵士)と同時に連合軍の捕虜となり、1946年(昭和21年)捕虜収容所から解放され帰国。
国内では、半世紀にわたり、主に長野県、東京都内各地で100回以上の個展を開催して作品を披露。国外では米国、英国、オランダなど。

略歴 –

・1913年(大正2年)

長野県南安曇郡梓村(現松本市)生れ。
帝国美術学校(現武蔵野美術大学)へ進み、日本画科卒。

・1938年(昭和13年)

日本美術院秋季展へ初出品、入選、これより日本美術院研究生として、本格的な活動を始める。
横山大観の指導を受け、その後、前田青邨に師事。
1960年中期まで日本美術院、院友として、定期展に出品。
その後、彩色画から墨絵に軸足をかえ、国内での個展で作品を披露するようになる。

・1964年(昭和39年)

長野県松本市の文化親善使節として、同市の姉妹都市である米国ユタ州ソルトレーク市へ、エドウイン・O・ライシャワー、アメリカ合衆国駐日大使の後援を受け赴き、同市内で大規模な個展を開催、日米親善、文化交流活動を行う。これが画家の海外での活動の端緒であった。最晩年1996年にはパリにアトリエを構え取材、作画活動。

・2000年(平成12年)

東京都にて死去。

– 大規模な個展 –

国内

・1963年(昭和38年)

松本市はやしや百貨店(墨絵150点)。

・1983年(昭和58年)

長野市東急デパート、および松本市井上デパート。

・1991年(平成3年)

八十二文化財団ギャラリー(長野県長野市)。
伊那市文化会館(長野県伊那市)。 
画家のライフワークである「信濃の国、山水墨画百景」(長野県内各地の風景画)の作品を主に120点の披露のための展覧会。

・1999年(平成11年)

武蔵野市FF市民ホール(武蔵野市)欧米スケッチを中心とする水墨画展。画家最後の展覧会。

国外

・1964年(昭和39年)

米国ユタ州ソルトレーク市立図書館(作品125点)。

・1968年(昭和43年)

米国カリフォルニア州サンフランシスコ市日本文化センター。

・1978年(昭和54年)

米国オレゴン州立大学美術館、同大学の企画で全米24美術館で巡回展を開催。

・1985年(昭和60年)

英国オックスフォード大学アッシュモリアン美術館。

・1992年(平成4年)

オランダ王国、ライデン国立大学。

なお、国外での取材、絵画制作のため滞在した国々は、英国、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリア、米国、カナダ、メキシコ、韓国、インド。

– 著書および関連図書 –

・斎藤達雄 山水墨画 信濃の国百景 1991年 私家版
・Sumi-E Spirit in the hand of Tatsuo Saito (Japanese-Style Ink Painting) by Robert C. Elder, published by Visual Arts Resources University of Oregon Museum of Art, Eugene, Oregon, U.S.A. 1980 (英語書籍)

– 各地での写真 –

セーヌ河畔で写生
オックスフォード大学アシュモリアン
美術館での個展
アトリエ近くで写生
仏国立美術学校を表敬訪問
副学長の歓迎を受ける

– お問い合わせ –

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